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イザヤ書 64:4 - Japanese: 聖書 口語訳

4 いにしえからこのかた、 あなたのほか神を待ち望む者に、 このような事を行われた神を聞いたことはなく、 耳に入れたこともなく、目に見たこともない。

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Colloquial Japanese (1955)

4 いにしえからこのかた、あなたのほか神を待ち望む者に、このような事を行われた神を聞いたことはなく、耳に入れたこともなく、目に見たこともない。

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リビングバイブル

4 世界が始まって以来、私たちの神のように、 待ち望む者にすばらしいことをしてくれる方は、 ほかにありません。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

4 喜んで正しいことを行い あなたの道に従って、あなたを心に留める者を あなたは迎えてくださいます。 あなたは憤られました わたしたちが罪を犯したからです。 しかし、あなたの御業によって わたしたちはとこしえに救われます。

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聖書 口語訳

4 いにしえからこのかた、あなたのほか神を待ち望む者に、このような事を行われた神を聞いたことはなく、耳に入れたこともなく、目に見たこともない。

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イザヤ書 64:4
36 相互参照  

主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。


われわれの先祖の日から今日まで、われわれは大いなるとがを負い、われわれの不義によって、われわれとわれわれの王たち、および祭司たちは国々の王たちの手にわたされ、つるぎにかけられ、捕え行かれ、かすめられ、恥をこうむりました。今日のとおりです。


その契約を守り、 その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。


わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。 そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。


あなたを恐れる者のためにたくわえ、 あなたに寄り頼む者のために 人の子らの前に施されたあなたの恵みは いかに大いなるものでしょう。


わが魂はもだしてただ神をまつ。 わが救は神から来る。


その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちはその救を喜び楽しもう」と。


それゆえ、主は待っていて、 あなたがたに恵を施される。 それゆえ、主は立ちあがって、 あなたがたをあわれまれる。 主は公平の神でいらせられる。 すべて主を待ち望む者はさいわいである。


しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、 わしのように翼をはって、のぼることができる。 走っても疲れることなく、 歩いても弱ることはない。


われわれのとがは、あなたの前に多く、 罪は、われわれを訴えて、あかしをなし、 とがは、われわれと共にあり、 不義は、われわれがこれを知る。


だれがこのような事を聞いたか、 だれがこのような事どもを見たか。 一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか。 一つの国民はひと時に生れるだろうか。 しかし、シオンは産みの苦しみをするやいなや その子らを産んだ。


われわれの神、主よ、あなたは強きみ手をもって、あなたの民をエジプトの地から導き出して、今日のように、み名をあげられました。われわれは罪を犯し、よこしまなふるまいをしました。


われわれは罪を犯し、悪をおこない、よこしまなふるまいをなし、そむいて、あなたの戒めと、おきてを離れました。


主よ、恥はわれわれのもの、われわれの王たち、君たちおよび先祖たちのものです。これはわれわれがあなたにむかって罪を犯したからです。


彼らは皆、炉のように熱くなって、 そのさばきびとを焼き滅ぼす。 そのもろもろの王は皆たおれる。 彼らの中にはわたしを呼ぶ者がひとりもない。


わたしは彼らを国々の民の中に散らした。 しかし彼らは遠い国々でわたしを覚え、 その子供らと共に生きながらえて帰ってくる。


そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。


その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。


そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。


被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。


こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。


そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。


確かに偉大なのは、この信心の奥義である、 「キリストは肉において現れ、 霊において義とせられ、 御使たちに見られ、 諸国民の間に伝えられ、 世界の中で信じられ、 栄光のうちに天に上げられた」。


しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。


だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。


わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。


私たちに従ってください:

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